屋外は真ッ暗 暗の暗
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
中原中也『サーカス』より
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中原中也を読んだきっかけは高校の先輩の影響だったわけです。
「サーカス」と言う詩を読んだ時の衝撃はすごいものでした。
熱が38度をまた越えて、唐突に思い浮かんだのがサーカスの最後の2行。
らっかがさめのノスタスジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
綺麗だなぁ。
私のごとき頭のゆるい人間が中原中也を詠むのはおすすめできない。
大抵それで失敗してしまうのです。
たいそうなものを抱いたと勘違いしておぼれてしまうのが落ちでしょう。
風邪引きながらこんな日記書くしかやることないのもマァ、無粋なもんです。
脳味噌がぐるぐるしてまいりましたので、この辺で。
そりゃ僕だってねぇ。
最近良く思うのが、ほんと僕はいい意味で不適合者だなぁと。
これはすんばらしぃ武器なわけです。
すごく大切にしていきたい。
文系で感性人間で、時たま理系で冷徹で、まぁその程度の男。
言ってる言葉の意味がわからなくなることも、まぁ時には盲目的に熱いだの萌えるだのと言ってみたくなる程度には、言葉に期待して無い。
むしろ貶めて汚す行為もそれはそれなりに楽しいのでしょう。
綺麗な言葉使えと言霊使い達はそろって言いますが、汚い言葉さえ使えない言霊使いはほんとに言葉を愛しているのか否か。
結局の話、僕は乱れた言葉さえいとおしいと思うわけで。
オタクに相応しく、言葉たんは俺の嫁とでもいっておく事にしましょうね。
ひどい言葉だわ。
ことのはを使っていると主張しながら、ことのはに使われてる言霊使いにだけはなるもんか。
なるもんかねぇ。
それだったら使えない方がまだましだよ。
意味がわからないことを弄して人を煙に巻くことで、いかにも自分が上道かのように見せる僕の手です。
皆さんも、ぜひぜひ真似してくれればいいな。
反セカイ系宣言でも打ちたてようか。
世界が世界としてある限り、人間一人がそいつをどうにかできるとかカタルシスにあふれてるとは思います。
ただ、勝手に納得して勝手に選んで、勝手に担って、勝手に世界を左右されてたまるか。
よほど上手く立ち回らないと、人間すぐ間違う。
しかし間違うことはすばらしいことじゃないか。
間違わないヒーローもそれはそれでかっこいいけどね。
間違って間違って、どうしようもなくどん底でもそこはそれなりの世界だよ。
反セカイ系系。
世界とは不変じゃなくましてや不偏なんてもってのほか、偏ってるんだよ。
偏ってよれよれで、それでもそれぞれ世界と闘ってる。
君の勝手が世界を左右するのが世界系なら、皆セカイ系じゃないのかな。
それぞれのセカイ系で闘っているんじゃないか。
だれだってセカイと闘ってるでしょうが。それを無視することはやっぱり出来ませんよね。
そう思う。
個人的には、ちっぽけだろうと闘うその意思こそかっこいいと思うのです。
一揃えの荷物を持って、
あての無いたびに出ることをぼくは止めない。
二揃えの荷物を持って、
あての無いたびに出るならぼくは止める。
二揃えの荷物を持って、
あての有るたびにでるならぼくは止めない。
三揃えの荷物を君が持って旅立つなら、
半分ぼくもひきうけよう。
旅立たないならば、
いつものように酒でも飲もう。
たとえ話が好きな人。
べっ甲とゆう半透明でにごった飴。
柳のようにゆるゆると、ごぼうのようにしなやかで、
それでいてカステラのようにスカスカだ。
たとえ話が好きな人。
転がった君を見ない。
転がった私を見ない。
転がる石のようにたとえばそうあれ。
たとえずともただここにあれ。