最近の私は、ゲームをやったらシナリオの仕組みにばっかり目が行きます。
小説を読んだら、文体の持ち込み方にばかり気が行きます。
漫画を読んだら、コマ割りの流れにばっかり目が行きます。
吹き出しのセリフを追うときも、カギカッコ内を読むときも、立ち絵の表示され方一つにしたって、作り手としてパクれるところパクって行こうっていう意識が強すぎる。
もちろん、それが間違ってると思っているわけではないのですが、損をしているんじゃないかと思うときも多々あります。
よく見るシチュエーションを並べられると、本質を見る前に気持ちが萎えるときがあります。
文法間違えを見つけた瞬間に、ガッカリして斜め上から見るときがあります。
構成力ばかり気にして世界に入り込めない自分に気づきます。
あー、なんとかならんもんか。
ドラえもんならばあるいは何とかしてくれるのか。
タイガー道場へ行けばいいと思うよ。さいですか。
小説を読んだら、文体の持ち込み方にばかり気が行きます。
漫画を読んだら、コマ割りの流れにばっかり目が行きます。
吹き出しのセリフを追うときも、カギカッコ内を読むときも、立ち絵の表示され方一つにしたって、作り手としてパクれるところパクって行こうっていう意識が強すぎる。
もちろん、それが間違ってると思っているわけではないのですが、損をしているんじゃないかと思うときも多々あります。
よく見るシチュエーションを並べられると、本質を見る前に気持ちが萎えるときがあります。
文法間違えを見つけた瞬間に、ガッカリして斜め上から見るときがあります。
構成力ばかり気にして世界に入り込めない自分に気づきます。
あー、なんとかならんもんか。
ドラえもんならばあるいは何とかしてくれるのか。
タイガー道場へ行けばいいと思うよ。さいですか。
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